丸みを帯びたボディに愛嬌のある顔。手のひらサイズの可愛らしいロボット「Qumcum(クムクム)」は、子どもたちがプログラミングを学ぶための相棒だ。子どもたちがクムクムを動かしたり、クムクムとコミュニケーションをとったりするうちに、自然とプログラミングが身につくように考案されている。
このプログラミング教材「クムクム」を開発した株式会社CRETARIA(クレタリア)の代表取締役小野瑞穂は三児の母であり、クムクムには小野の母親としての目線が生かされている。
開発から5年、クムクムの事業も軌道に乗り始め、公私ともに充実した多忙な日々を送る小野だが、その半生は決して順風満帆ではなかった。ピンチをチャンスに変えてきたその生き方について、小野に聞いた。
事故からの生還と乗り越えるべき後遺症
プログラミング開発会社の代表取締役である小野だが、それまでバリバリのプログラマーのキャリアを築いてきたわけではない。またプログラミングが大好きなコンピュータ少女だったわけでもない。むしろ自分はパソコンさえ使ったことのなかったアナログ人間だと小野は言う。
小野の子どもの頃からの夢は、保育士になることであった。大学を卒業した小野は、念願の保育士の職に就く。大好きな子どもたちに囲まれたあこがれの職業。しかしその夢の仕事は、長くは続けられなかった。
「自分の天職は保育士であるとずっと思っていて、保育士になろうと決めていました。でも私には子どもの時のけがが原因の持病があり、保育士の仕事は精神的にも肉体的にもきつくて、入退院を繰り返すようになりました。」
小野は6歳の時、事故に遭った。事故は小学校入学式の前日に起きた。外で遊んでいた妹をお昼ごはんに呼びに行った小野は、運悪く倒れてきた石の門柱の下敷きになってしまったのだ。
「体は全部下敷きになったのですが、運よく頭だけ下敷きにならなかった。頭も下敷きになっていたら死んでいたと言われました。全身骨折と、腸が破裂していました。」
間一髪で命拾いをした小野だが、運び込まれた病院で小野を診察した院長は、腸の破裂を見落としてしまう。夜になって、病室の小野の状態は突如悪化した。
そのまま見過ごされていたならば、命を落としていただろう。だかここで再び、小野は命拾いをすることになる。たまたま京都大学から研修に来ていた医師が小野を見て、異変に気付いたのだ。検査の結果、腸に穴が開いていることが分かった。
このような腸へのダメージを受けた場合、腸が癒着しないように治療後すぐに身体を動かす必要があるのだが、小野の場合は骨盤を骨折していたため体を動かすことができず、その結果かなりの部分が癒着してしまった。しかし小野はあくまでポジティブだ。
「腸が狭くなったところがたくさんあって、そこが詰まるとまた命取りになる可能性があります。でも、死にかけたけれど私は生き延びた。だから私はなかなか普通のことでは死なないんじゃないかと思えるようになりました。入学式の前日に事故に遭ったので、もちろん入学式には出られないし、学校に通えるようになってもしばらくはいろいろな装具をつけていないといけなかったし、授業はみんなから遅れているしで、苦労の連続でした。でも、これはきっと乗り越えなければならない試練なのだと思って、根性がつきました。」
余談であるが、小野の命を救った京大の研修医は、のち移植の第一人者となっている。
新世界での葛藤、そして夢の続き
この事故の後遺症で、大きなストレスがかかると腸が機能しなくなってしまうため、中学に進学してからも入院することがあり、手術もこれまでに二回受けた。
「両親や主治医の先生には、ストレスのかからないような仕事についてほしいと言われました。でも私は負けん気が強くて、自分がやりたいことはやるというような性格なので、周囲の意見を押し切って、ずっとなりたいと思っていた保育士の仕事に就きました。」
ところが、入った職場はとくに仕事量が多く、体への負担は大きかった。このまま無理を続けては、本当に体を壊してしまいかねない。結婚を機に保育士をやめようと考えていたちょうどそのとき、小野は知人から新しく会社を作るから一緒にやらないかと声をかけられる。小野は経理担当として、新しい世界に飛び込んだ。
小野が入った会社は、ソフトウェアの会社であった。それまでパソコンを使ったこともなかったアナログ人間の小野は仕事がうまくこなせず、怒られてばかりの毎日を過ごす。完全な男社会で女性は小野ひとり、仕事を教えてくれる人もいない。しかしそんな逆境に小野はむしろ奮い立った。持ち前の負けん気の強さと根性で、仕事内容やビジネスマナーを一から自分で学んでいった。
経理の仕事上、会社のプログラマーと話す機会も多かったが、小野の目に、プログラマーは別人種のように映った。
「全然話が嚙み合わないんです。私は、人間のやることや考えることには、1+1が必ずしも2にならないような要素も含まれていると思っています。でも彼らの考え方は非常に論理的で、1+1は必ず2なのです。正直なところ、自分の子どもたちにはこんな仕事はさせたくない、こんな社会に入れたくないとずっと思っていました。」
だが、小野の考えにも少しずつ変化が現れる。
「この1+1は必ず2の人たちに、いかに自分の考えを分からせるかということを思案しているうちに、私自身よく考えてから話すようになりました。実はもともとあまりしゃべるのが得意ではなかったのですが、会議でも意見を言えるようになったり、論理的な考えができるようになったりしてきて、自信がついた。実はこんな社会も悪くないかもしれないと思うようになりました。」
社会のデジタル化は避けられず、将来子どもたちはその社会の中で仕事につき、生きていかなければならない。それならば、正しいプログラミングを学んで、デジタル化の波に飲まれることなく、デジタル化社会を上手に使いこなしていけるようになるべきだ。小野はそう思うようになった。
そんな矢先に、子どものプログラミング事業を始めないかという話が小野のところへ舞い込んだ。
「保育士として幼児教育の経験がある自分にぴったりの仕事だと思いました。いろんなことがあって、小さいころからの夢だった保育士の仕事は辞めてしまいましたが、それを生かすことができる仕事にやっと出会えたわけです。」
デジタル+アナログ=新しい未来
デジタルとアナログをいかに上手に融合させるかということを考えていた小野は、人と人とのコミュニケーションを大切にしたいという思いから、人型のロボットをプログラミングの教材として選んだ。また、3児の母親としての目線から、子どもたちに知っておいてほしい物事の本質が、クムクムのテキストにはたくさん詰め込まれている。
「もうひとつ、私がプログラミングに力を入れる理由は、プログラミングが発達障害の子によい影響を与えると言われていることです。発達障害の子どもたちが将来仕事につくために少しでも有効であるなら、助けになりたい。最終的に私はそういう教育に携わりたいと思っています。教育は奥が深く、やりがいがありますが、乗り越えるべき壁も多い。でも、そういう子どもたちの役に立ちたいと思って頑張ることができます。」
大事故から生還し、後遺症を抱えながらも、小野は数々のことに挑戦し、夢をかなえてきた。そして今また、新たな将来を見据えている。
「あの事故がきっかけで、いろいろなことが回っているし、今の私がいる。だから、事故に遭ったことは損ではなかったのかなって今は思っています。それに私は運がいいと思うんです。きっと小さいときに苦労したから、神様がちょっとおまけしてくれているのかもしれません。」
(敬称略)
